ユジノサハリンスク旅行

旅は芸術家にとって欠かせないという、昔の偉い人々の文化を口実にして継承して海外旅行に行きます。今夏はユジノサハリンスク(旧名:樺太地方豊原市)とウラジヴォストーク(日本に最も近いヨーロッパ)に行ってきました。

ユジノサハリンスク市内のホテルから市の北西方面を撮影

成田から、ウラジヴォストーク経由でユジノサハリンスクにフライト。
今回はオーロラエアの安いチケットを手に入れた。横に6人のる小型の飛行機で、パイロットは離着陸が上手く。アルコールなどは出なかったが、快適な移動だった。ユジノサハリンスク、ホムトヴォ空港(旧名:大沢飛行場)到達が22時前。ここで最初の洗礼を受けることになる。

8月11日夜の気温は11度。小雨ぱらつく空港前には人影も少なく、バスは終了し、期待していたタクシーの客引きも見られない。

寒い。空腹。2歳の人帯同なので焦る。このままでは2歳の人の健康がやばい。

頼みの綱のホテルに電話を掛けて、タクシー会社の電話番号を聞くも、タクシー会社は不通。読んでもらえるよう交渉するが要領を得ず、再度同じ番号を教えられて切られる。ネットで検索したタクシー会社も営業時間外。
さらに23時には空港も閉まってしまうという。

あわや野宿かという矢先に、北海道から来た頼もしい旅慣れた方(ヒーロー)が登場。空港のインフォメーションで電話の通じるタクシー会社を聞き出してもらい、便乗することに。なんとか市内まで辿り着き、野垂れ死ぬ事なく宿にチェックインした。

教訓1:夜にホムトヴァ空港に到着する場合はお迎えを事前に確保しておくべし。
教訓2:サハリンでは英語はあまり当てにならない。ロシア語きちんと予習すべし。

コルサコフ(Корсаков/旧名:大泊)

展望広場から眺めおろすコルサコフ港

翌日埃まみれの乗り合いバスに1時間ほど揺られて、コルサコフ(旧名:大泊)に到着。ここは稚内と船便で繋がれている。次訪れることがあったら、稚内からの船旅も味わってみたい。

かつて豊原市(現:ユジノサハリンスク)への入植者はこの大泊へ最初の一歩を踏み出した。

写真は帝国時代の線路。気に入って沢山写真を撮る。南サハリンには大日本帝国時代の遺物が残存している。

コルサコフ港

天候が悪く、路面は泥だらけ。ユジノサハリンスク市内にも言えるが、とにかくあちこち道路工事をしていて、歩きづらい。冬場の雪のせいなのか、埃っぽく、車は例外なく埃まみれだ。あと、公衆トイレが見当たらないのでトイレを見かけたら用を足しておくべし。
(2019年8月現在の情報)

ユジノサハリンスク市内

翌日は快晴。観光日和だった。写真はチェーホフ劇場。直近では『チポリーノの冒険』の上演が予定されていた。ユジノサハリンスク滞在時は残念ながら芝居はお休み。何か観たかったなぁ。

劇場の向かいにはチェーホフ記念文学館がある。サハリン島に赴任する際に予習として読んだ本のリスト、私物などから、当時の流刑地の暮らしの様子、チェーホフの作品に関わる展示まで充実していた。館の案内の方はみな親切で、片言のロシア語しか話せない私を丁寧に案内してくれた。

3枚目は文学館の前に広がる広場で、チェーホフ作品の登場人物の像が置かれている。

サハリン州郷土史博物館

サハリン州郷土博物館の建物は、大日本帝国時代の樺太博物館を引き継いでいる。
先史時代の化石から日本時代の遺物まで、幅広い展示がなされていた。

英雄ガガーリンの像

広大なガガーリン公園には英雄ガガーリンの像がある。
この公園内には豊かな自然の他に、遊園地エリア、ボート池、こども鉄道、ビアガーデンなどが設けられている。日本時代は豊原公園と呼ばれていた。今回は時間が足りなかったが、1日ガガーリン公園でノンビリ過ごすのも楽しそうだ。

写真は旧王子製紙の工場跡と玉川橋。
ユジノサハリンスク市内には、日本時代の豊原市の建造物が残されている。

駅前から見られるD51。交通博物館も行きたかった。

日数の関係上、駆け足の観光になってしまった。8月だが最高気温が20度前後で、快適だった。避暑として訪れるには丁度いいかもしれない。

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