夏の夜の博覧会は、かなしからずや
本作品は7月25日、東京都練馬区の光が丘美術館で行われる演奏会『Midsummer concert〜詩の木陰にて』のために、私が書き下ろしました。演奏時間6分弱の曲で、編成はソプラノ、二胡、ピアノです。
作詞者紹介
中原中也は日本の詩人で、翻訳家。1907年に山口県に生まれました。
若くして詩才を顕します。15歳の時、厳しい両親に隠れて短歌会「末黒野(すぐろの)会」に参加し、その時に知り合った仲間と共に詩集「末黒野」を刊行します。この頃を境に、成績も急落し、素行も問題視されます。その後立命館中学に編入、終了後は大学予科受験を理由に上京します。
東京では小林秀雄、髙橋新吉、諸井三郎などと交友を広げました。日本大学予科文科に入学したものの、9月には退学。アテネ・フランセ(私立語学学校)に通い、フランス語を学びます。
1934年には詩集「山羊の歌」を自費出版。そのほかにランボーの邦訳などを手がけました。この頃、遠縁の上野孝子と結婚し、長男文也が生まれます。
子ども好きな中也は大変な子煩悩で、この文也をよく可愛がりましたが、1936年に小児結核で文也は亡くなります。中也は以降心身ともに病んで過ごし、翌1937年に30歳で亡くなります。
本作は文也の死に際し「文也の一生」という日記の断章に続いて書かれた未発表詩篇です。文也の一生の末尾には次のような記述があり、ここでこの文書は終わっています。
春暖き日坊やと二人で小沢を番衆会館に訪ね、金魚を買ってやる。同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニヤーニヤー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分らぬらしく子供の象をみて「ニヤーニヤー」といふ。豹をみても鶴をみても「ニヤーニヤー」なり。やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。六月頃四谷キネマに夕より淳夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。七月淳夫君他へ下宿す。八月頃靴を買ひに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子三人にて夜店をみしこともありき。八月初め神楽坂に三人にてゆく。七月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。
文章中の最後の7月末の博覧会に行った日の思い出を中也は「夏の日の博覧会は、かなしからずや」で描きました。
楽曲について
本作は1番2番の歌詞に循環的な構造を組み込んで作曲しました。1番と2番で使用素材は一致していますが、細かい構造が変容しています。
1
夏の夜の博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ
三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや
広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや
アーチ状の音形、2拍3連のリズム素材など全体に使われる素材は第1連で提示し、以降繰り返し利用しました。
この詩に特徴的なのは「かなしからずや」が多用される点です。筆舌尽くし難いかなしみを表す方法として、歌詞を省き旋律にこのフレーズを代用させました。
2番は1番冒頭のメロディを二胡が歌い上げるところから始め、2拍3連素材を再び内包するソプラノパートが構造を主導します。
2
その日博覧会に入りしばかりの刻は
なほ明るく、昼の明ありぬ、
われら三人飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ
飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき
その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!
どこで聴けるの!?
この世界初演の歌は、7月25日(日)、光が丘美術館で行われるコンサート「Midsummer Concert 〜詩の木陰にて〜」の第二部で聴くことができます。ソプラノ飯田映理子、ピアニスト髙橋悠之輔、二胡奏者寺岡拓士のトリオとなります。
真夏に一服の清涼を感じられるようなプログラムです。ぜひお越しください!
Midsummer Concert 詳細&チケット申し込みページ
YOUTUBE公式サイト:https://www.youtube.com/channel/UCj75ickpMmq-qSMRtpJvq9w
作曲者紹介
髙橋悠之輔
作曲家、ピアニスト
脚本家、演出家、舞台監督、マーケター
Creative Garden “Core” Chief Gardener
CreativePot音楽教室主宰
1999年、東京芸術大学音楽学部楽理科入学以降、現代音楽、作曲、ステージパフォーマンスなどに強い関心を持って研究してきた。
在学中より自主的な演奏会、演劇公演などを主宰。テキストと音楽の創造的な関係について思索を巡らす。
当時より地域密着型の芸術祭・音楽祭の重要性を学び、将来はそういった事業にかかわりたいと考え、今日に至る。
これまで都内で、音楽制作、ミュージカル制作、演劇・音楽祭制作や舞台監督として活動する。
自身の創作活動としては、舞台作品5本、音楽劇2本、オペラ台本1本の他、インターネットラジオドラマ付曲、ネットニュース番組用BGM、各種演奏会用新曲及びオルガン編曲など多数。
現在ピアノ及び音楽理論の個人指導を再開。教育産業で働いていた知見を活かし、小学生から社会人まで幅広く指導している。
2018年より市民参加型芸術祭の専属マーケター
2020年より市民参加型リモート合唱『リモ・コア』の世話人
2021年よりCreative Garden “Core” 代表